父86歳。独居の暮らし。揺れる私の心。

私は看護師としての自分と、娘としての自分の間で揺れながら、父の暮らしに関わっています。
この「父86歳。」シリーズでは、そんな私の複雑な気持ちや、父との日々のリアルを記録していこうと思います。
介護や老いに直面している方にとって、「うちも同じだ」と思えるヒントや安心につながれば嬉しいです。
父の独居生活
私の父は86歳。2階建ての家に一人で暮らしています。
かつては自営業をしていたので、生活の拠点は今も2階。
キッチンも寝室も2階にあり、お風呂だけが1階にあります。
だから、毎日階段を上り下りしなければなりません。
86歳にしては足腰は強い方。
自動車運転免許は4年前に返納。
「高齢者が自分より若い人を車で轢いて死なせるなんてあり得ない」と交通事故を心配していた私たちは、数ヶ月間かけて父を説得しました。
炊事や洗濯は自分でこなしています。
とはいえ、料理をきちんとするのは面倒なようで、ご飯だけは炊くものの、おかずは買ってきた惣菜や豆腐、練り物などを数日かけて食べるのが日常です。
掃除も「面倒くさい」と言い、埃が目立つのを気にせず過ごしています。
買い物や病院の受診については、私と兄弟姉妹でシフトを組んでフォローするようになりました。
以前からみんなで手分けしていましたが、不公平感が出てきたため、先月からは週ごとに分担を決め、LINEグループで共有しています。
父もそのLINEグループに入っています。
スマホを持ち、Youtubeを見たり最低限のLINE機能を使ったり。
でも物忘れも出てきています。
かつてはお正月やお盆に父の家で親族の集まりをしていましたが、片付けや掃除を面倒がるようになり、昨年からは弟の家で行うようになりました。
こうして見れば、父は「まだ自立している高齢者」に見えます。
ですが、細かく覗くと独居高齢者あるあるが顔を出しています。


親の依頼にイライラする自分
正直に言えば、私は父のことがあまり好きではありません。
だから父に「買い物に連れて行ってほしい」「病院の付き添いをしてほしい」と言われると、たとえ予定がなくてもイライラしてしまうのです。
「自分の受診くらいタクシーで行けばいいじゃない」
そんな言葉が喉まで出かかります。
私は介護施設で働くナースです。
利用者さんやその家族に対しては、優しく寄り添うことができます。
けれど、自分の親に対しては不思議なほどきつく言ってしまう。
なぜなのかは自分でも分かりません。
きっと「どうしてそれくらいできないの?」といういら立ちや、過去に私が困っていたときに父が助けてくれなかった記憶がよみがえるからだと思います。

自立と不安のはざまで
そんな私でも、父の生活を見ていると「一人暮らしを続けられるのだろうか」と不安になることがあります。
炊事も洗濯もできる。
趣味のカラオケにも通えている。
要支援1すら取れないほど自立している。
それでも、年齢は86歳。
今後、もの忘れがひどくなったり体調の変化が出てきたら、どうなるのだろう?
老人ホームを探すべきなのか。
それとも、もうしばらく在宅でやっていけるのか。
頭の中でそんな思いが巡り続けます。
私は父に対して「冷たい子ども」かもしれません。
でも、きっと同じように複雑な気持ちを抱えている人は少なくないはずです。



同じように迷うあなたへ
介護は「大好きな親だから頑張れる」とは限りません。
むしろ「好きじゃない親だけど、やらざるを得ない」という現実に直面している人の方が多いのかもしれません。
親に冷たくしてしまう自分に嫌気が差すこともあります。
そんな自分に「なんでもっと優しい気持ちが持てないんだろう」と涙することもあります。
でもそれは、心の底に「責任感」や「不安」があるからこそ。
きっと同じ気持ちを抱えている人は他にもいます。
もしあなたも似たような葛藤を抱えているなら、どうか自分を責めすぎないでください。
介護は「感情」と「義務感」が入り混じるもの。
その揺れを言葉にすることも、介護の一歩になると私は思っています。

一人じゃない
今回は「父の現在の暮らし」と「私自身の複雑な気持ち」を書きました。
在宅介護はきれいごとだけではありません。
でも、そんな気持ちを共有することで、少しでも「一人じゃない」と感じてもらえたら嬉しいです。
▶️ 次回は「父のもの忘れエピソード」について書いてみたいと思います。