父ヤス86歳。

父ヤス、自転車を買う。─小さな自由が心を動かす日。

emiko0419

高齢、独居、男性、車の免許返納済み。

こんな86歳の父ヤスの心は、短期間でかなりグラグラと揺れていました。

沈んだ心に、風が通った日

頻尿サプリをやめてからの父ヤスは、まるで別人のようでした。

口数が減り、一緒に買い物に行ったときも「きつい、きつい」と連発。

弟が家を訪ねたとき、父ヤスは暗い部屋の中で電気もつけず、

表情ひとつ変えずにこう言ったらしいです。

「もう、死んだ方が楽だろうな」

弟は「何言ってるんだよ!」と叱りましたが、何も返さなかったそうです。

あの頃の父ヤスを思い出すと、胸の奥がズンと重くなる。

だけど、ヤス、そろそろ死んでしまうのかなと俯瞰していた自分もいました。

その、ほんの1〜2週間後のこと。

「お父さん、自転車を買いました。買い物の送迎はキャンセルしてください」

LINEの文字をみて、だよね、自由に出かけたかったんだよね、と感じました。

そして、自分で命を繋げたならよかった、とも感じていました。

父ヤス、ホントは強気なおじいさんなんです
頻尿サプリを信じた86歳。解約バトルでまさかの勝利。
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自由の扉を開けたのは、ママチャリだった

聞けば、地元の自転車屋さんに1人で行き購入。

久しぶりに会った店の奥さんが、

「お父さん、久しぶりねぇ!」と笑ってくれたそうです。

その会話がすごく嬉しかったようで、姉に「覚えててくれたんだよ」と

明るい声で話したといいます。

父が選んだのは、普通のママチャリ。前後にカゴを付けた、買い物仕様。

家から自転車屋までは約1キロ。その距離を無事に帰ってこれたことが、

本人にとって何よりのリハビリになったでしょう。

数日後、LINEが届きました。

「近所を徘徊したよ〜。転んでないよ〜。風が気持ちよかった」

たったそれだけの言葉だったけど、その文面の軽さが嬉しかったです。

自虐ネタも言えるように戻ったな、と安心もしました。

死にたいと言っていた人が、また風を感じている

自転車を買う数日前、父の姉が101歳で亡くなリました。

それをきっかけに「もう死んだ方がマシだ」と口にしていた父ヤス。

免許を返納してから数年、「車がないと、どこにも行けない」と何度も口にしていました。

ここは地方のど田舎。車とともに長年生活してきた人から免許を奪うことは、

不自由な環境に一方的に放り込むことなのかな、と感じることもあった私。

きっと、自由に移動できないことが、父ヤスにとっては生きる自由も失うことでした。

カラオケ行ってきました。
今までの体調がウソみたいに楽しく過ごしたよー。

そのLINEを見た瞬間、「人の心って、ここまで動くんだ」と思い嬉しかったです。

ついこの間まで死にたいと言っていた父ヤス。

今は自転車で風を感じ、カラオケで笑っています。

娘として、そして看護師として

私は、父がまだしばらく生きるんだと実感したとき、心のどこかでホッとしました。

けれど同時に、高齢者にかかる医療費や介護保険料の現実、老いの限界も知っているから、

素直によかったねとは思えない部分もあったり。

それでも、「まだこの人の中には、生きようとする力がある」

そう感じたことは確かでした。

父ヤスを見ていると、高齢者がもう一度、生きる力を取り戻す瞬間って、

薬や言葉じゃなくて、『小さな自由』を取り戻すときなんだと実感しました。

正論も、優しさのひとつ

「チャリ、気をつけてよね。
自転車は2輪、バランス崩して転んだら骨折、寝たきりになるからね。
厳しいことしか言わないけど、全部現実なんだよ。
お葬式に100人来てくれるような人を目指して、
余生をチャリと散歩で楽しみましょう。」

私は父にこう送りました。

私の中では、「全てを受け入れること」だけが優しさじゃない。

正論をどストレートに伝えるのも愛情だと思っています。

だって、人生の主役は本人だから。自分の意志で、自分の足で動く。

それこそが、老後を『生ききる力』だと思います。

冷たいと思われてもいい、誰も言えないことは娘ナースの私が

ハッキリ伝えます。

そして父が余生をできるだけ自立して楽しめるように、

影からも、正面からもサポートに入ります。

介護が始まるときの不安や戸惑いは、誰にでもあります。
介護はがんばりすぎなくていい。自分をすり減らさないために大切なこと
介護はがんばりすぎなくていい。自分をすり減らさないために大切なこと

今も、風の中にいる父ヤスへ

父ヤスが自転車を買ったのは、まだ10日ほど前のことです。

どの程度自転車に乗ってぶらぶらしているのか、私は知りません。

私はまだ、父ヤスのその姿を直接見てもいません。

でもそれでいい。心配しすぎず、適度な距離で見守る方が、

父ヤスも娘ナースも穏やかでいられる気がします。

親の老いって、管理することじゃない。

その人がまた動き出す瞬間を、信じて待つことなんだと感じています。

人は、いくつになっても『自由な風を感じたい』と思っているはずです。

その小さな願いを邪魔しないのも、ひとつの優しさなのかもしれません。

介護は「生きる力を支えること」

父ヤスを見ていると、介護って助けることのようで、

本当は信じることなのかもしれないと思いました。

人は誰でも、自分の中に「もう一度立ち上がる力」を持っている。

ただ、それを見つけるまでに時間がかかるだけ。

私は看護師として、たくさんの『老い』を見てきました。

だけど、家族として父を見たとき、

介護は「生かすこと」じゃなく「生きる力を支えること」だと気づかされました。

もし、あなたの家族が今、何かを諦めているように見えても大丈夫です。

小さなきっかけさえあれば、また風を感じられる日がきっと来ます。

あなたが介護している人は自由ですか

もし、あなたの家族が今、「何もしたくない」と心を閉ざしているなら、

無理に励まさなくてもいいんです。

けれど、『自由を取り戻すきっかけ』をそっと見つけてあげてほしい。

父ヤスにとってのそれは、自転車でした。

あなたの大切な人にとっては、何になるんでしょうね。

遠くからでもいい。ゆっくりでもいい。見守りながらきっかけ探し。

そのヒントはすでに見えているのかもしれません。

ナース・ミー
ナース・ミー

介護は、正解よりその人らしさを大切に。
今日もどこかで、きっかけが見つかっていますように。

介護の悩み、聞かせてください
ナース・ミー
ナース・ミー
現役の介護現場ナース
看護師歴25年超え、介護現場で働いて10年以上。今日も老人ホームで勤務しながら「現場で起きているリアルな介護」を発信しています。「介護の負担を少しでも減らしたい」「自宅でのケアを楽にしたい」そんな方のために、経験から得たヒントをわかりやすくお届けします。                 
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